「この子は消えてしまうんじゃないか」
不登校の子どもを見守るなかで、ふとこんな恐怖を感じることはありませんか?
起きてこない朝。
食事以外は部屋に引きこもる。
同じ空間にいても、目を合わせず、言葉も交わさない。
小さな声でつぶやく「もう生きていたくない」という言葉に、胸をしめつけられた経験のあるママもいるかもしれません。
「そんなの子どもの戯言だよ、親の気を引きたいだけでしょ」
そう思いたくても、子どもの小さなつぶやきは現実味を帯びていて、親の心を深い恐れで包み込みます。
でも周囲に心配かけたくないし、過剰に反応されても困るから、誰かに話すなんてできなくて。
ちょっとでも子どもに笑顔になってほしくって、無理に明るくふるまったり、気にしてないフリをしてしまう。
本当は怖いのに、「大丈夫」と笑う自分がいて、それもなんだか気持ち悪い。
とあるテレビ番組で、アーティストの星野源さんがこんなことを語っていました。
「自分の一番奥に入ると、誰かに絶対つながってしまうんだ」
心の深い深い底。落ちて、落ちて、落ちていった先には扉があって。
そこを開けると、見えない誰かとつながるようなワームホールのようなものがある。
孤独の奥につながりが待っているのだ、と。
私も子どもたち3人の不登校を経験してきて、本当にそうだなと思います。
子どもは、自分の力で心の奥にある扉を見つけて、開けることができる。
その先で、誰かと、あるいは自分自身と、確かなつながりを取り戻していくのです。
不登校は孤独との対峙ですよね。子どもだけじゃなく、私たち親も。
こんなにも近くにいるのに、子どもの心には足を踏み入れることができないのかと絶望することもあるはずです。自分の無力さがはがゆい。
だけど、その「奥底に沈んでいくように見える時間」は、子どもが「深く自分とつながる時間」だと思うのです。
その様子を親は見守ることしかできない。でもその間にも子どもは静かに、自分の奥へと旅をしている最中なのかもしれない。
そうであれば、その旅路の途中にいる子どもを、必要以上に引き戻そうとしなくてもいいのかもしれませんね。
どっちにしろ、親が子どもの手を引っ張って引き戻すことはできません。少なくとも、私はあれこれ試してみたけど無理だった。
力づくで戻そうとしても、きっと子どもは手を振り払うでしょう。だって自分にとって必要な、大切な旅なのだから。
親ができるのは、ただそこにいること。
そして「いつもここにいるからね」って、言葉ではなく態度で示すことだと思っています。
シンプルなのに、いちばん難しいことだけど。
親には想像できないくらい静かな時間の中で、子どもは自分と、そして世界とつながろうとしている。
私たち親もまた、子どもの不登校という経験を通して、深いところで自分と、誰かとつながろうとしているのかもしれないなと思います。

