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「そのままの君でいい」と言えなかったあのころのわたしへ【講談社コクリコ】

子育て情報サイト講談社コクリコ様で、コラム記事が公開になりました。

現在25歳の息子が不登校になったのは小学校2年生の頃。

その後、思春期を迎え、中学を卒業するまでの時間を振り返っています。

不登校といえば、みなさんは「タツキ先生は甘すぎる!」というドラマを見ていらっしゃいますか?

ドラマの舞台はフリースクール、「不登校」が題材として取り上げられています。

第1回目の主役は、子どもが学校に行かなくなった理由を突き止めたいお母さんと、自分の抱えている葛藤がどういうものなのか、言葉にできないお子さん。

さらには、原因を突き止めてお母さんを安心させたいと考える新米のしずく先生と、「言葉にならないこともあるでしょ」と解決を急がないタツキ先生の対比が描かれていました。

不登校に限りませんが、親は子どものことをわかりたいし、親なんだからわかって当たり前だと、どこかで思ってるもののような気がします。

十月十日、へその緒で繋がっていたからなのか、「自分と子どもとは一心同体」と感じていたりもする。

だからこそ、自分と違う感覚を持っているように見える子どものことをなかなか受け入れられないし、理解できないことを苦しく感じてしまうのではないでしょうか。

それは、子どものことがわかれば、子どもの悩みを自分が解決してあげられるかもしれないって思うからです。

私も同じで、子どもたちは何かはっきりした原因があって不登校になったのであって、そうであれば理由がわかりさえすれば、不登校という「問題」が解決するのだとばかり思っていました。

でも、そもそもの話、不登校は「問題」ではなかったのです。

それに気づくまでに、ずいぶんと時間が必要でしたね。(20年も!)

そうそう。ドラマの中で、すごく印象的な場面がありました。

タツキ先生が、中学2年生の女の子が描いた絵を見て「わからない」って呟いたんですね。

それに対し、新米のしずく先生は、「アートセラピーでもわからないんですか?」って尋ねていた。

しずく先生にとって、アートセラピーは「子どもの深層心理を探る道具」のように映っていたのかもしれません。

タツキ先生は、アートセラピーを「子どもが言葉にならない気持ちを表現する手段のひとつ」だと捉えているんじゃないかなあ。

一見すると、同じように見えて、取り組むスタンスが全然違う。

ここから、しずく先生がどう変化していくのかが、個人的には楽しみです。

かくいうわたしも、以前は(今もかもしれない)、しずく先生タイプ。

勉強をさせるにしても、させないにしても、習い事をさせるにしてもさせないにしても、結局は背景に「子どもの不登校を解決したい」が潜んでいたように思います。

しかも早く解決したい。子どもの成長や変化が待てない。

今、ツールとして用いている数秘術も、学びはじめた動機は「子どもたちのことが知りたい」だったんです。

でもわたしが「解決したい」と思っている限り、子どもは「問題」であり続ける。

そんなことに気づいたのは、ずいぶんと経ってからなのでした。

さらに深い話はメールマガジンでしていますので、よかったら。

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