「いいお母さんにならなくていい」
「ちゃんとした母親じゃなくていい」
そんな言葉を聞いて、ホッとした経験はありますか?
子どもの不登校や心身の不調に向き合っていると、
- ちゃんと支えなきゃ
- 見守らなきゃ
- 優しくしなきゃ
- 理解ある母親でいなきゃ
と、気づかないうちに“理想のお母さん像”を背負ってしまいやすいもの。
だからといって「ちゃんとしたお母さんじゃなくていいんだよ」と言われたところで、どうしたらいいかわからなくなることもあると思うのです。
「いいお母さんやめよう」ブーム
10年くらい前でしょうか。
「自分らしさ」や「ありのまま」が流行っていた頃、“いいお母さんをやめよう”という空気がありました。
お母さんだからといって、
- 家事を頑張らなくてもいい
- 自由に出かけてもいい
- 自分のためにお金を使ってもいい
そんな発信に、救われた人もたくさんいたと思います。
実際、私自身も、「お母さんだからこうあるべき」に縛られなくていいんだ、と少し楽になった部分もあった気がします。
でも当時、子どもの不登校に悩んでいた私は、どこか違和感も感じていたんです。
私は、「子どもと離れて自由になりたい」わけではなかったんですね。
ただ、「子どもといる時間を、苦しまずに楽しめるようになりたい」だけだった。
子どもが大好きなのに
一緒にいるのが苦しい
私は子どもと過ごす時間が好きなタイプだと思います。
でも、不登校の期間が長くなるにつれて、子どもたちと一緒にいることがしんどくなっていきました。
イライラしたり、逃げ出したくなったり、「家出したい」と思ってしまう自分にゾッとしたこともありました。
だからといって、
- 一人旅がしたい
- 子どもから離れたい
- 母親をやめたい
というわけではなかったんです。
もちろん息抜きは必要。
でも、私が本当に望んでいたのは、“子どもと離れる自由”ではなく、「子どもと一緒にいても苦しくない状態」。もっと言えば「子どもと一緒にいても自由でいられる自分」になりたかったのだと思います。
「ちゃんとした母親」をやめるって、
お母さんをやめることじゃない
「いいお母さんにならなくていい」
というのは、母親を放棄することではないんですよね。お母さん業をやめることでもない。
そうではなくて、“お母さんとはこういうもの”と、自分の中で決めていた枠を見直していくことなのだと思います。
たとえば、
- 毎日ちゃんとご飯を作らなきゃ
- いつも寄り添わなきゃ
- 子どもの気持ちを理解しなきゃ
- 良い対応をしなきゃ
そんな「こうあるべき」が、いつのまにか今の自分を苦しめていると気づいたなら、そこを見直していくのです。
今の自分に合う「母親の形」を探していく
今の自分には、どんなお母さんの形が心地いいんだろう。
そう考えてみると、いろいろ出てくると思います。
「毎日完璧にご飯を作る」より、「一緒に笑って食べられる」のほうが大切だったり、「ずっと寄り添う」より、「少し距離があるほうが優しくなれる」こともあります。
以前、食事にとても気を遣っているお母さんがいました。
学んで、工夫して、子どものために一生懸命ご飯を作っていた。でも、子どもが食べてくれないことに、強いモヤモヤを感じていたんです。
その方のお話を聞いていくと、本当は「ちゃんとしたい」以上に、“家族でゆっくり食事を味わいたい”という願いがあることが見えてきました。
本来、食事法も整った食卓も、その願いを叶えるためのものだったはずなのに、いつのまにか、「ちゃんとやること」が目的になっていたんですよね。
不登校は、「どういうお母さんでいたいか」を問い直す時間
「ちゃんとした母親をやめる」って、実はそこまで大げさなものではないんです。
人生を180度変えるようなことではなく、暮らしの中の小さな違和感を、少しずつ調整していくようなこと。
おそらく、不登校のお子さんがいるお母さんって、本当は子どもが大好きなんです。
だからこそ、「私は、本当はどんなふうに子どもと関わりたかったんだろう」が問われる。
不登校は罰ゲームではなく、“子育てを楽しみたい”という願いがあるからこその葛藤なのかもしれません。
あなたの中に「子育てを楽しみたい」という願いがあるとしたら、この先、どんなお母さんでいたいですか?どんなふうに子育てを楽しんでいきたいですか?
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子どもの不調や家族の出来事を、“問題”としてではなく、「人生からのメッセージ」として読み解いていく視点をお届けしています。
「どうしたらいいの?」の前に、「この出来事は、自分に何を問いかけているんだろう?」そんな視点を持ってみたい方へ。

